北海道の行方不明の男の子、見つかってよかったですね。
生活能力の高さ…
大人でもここまで出来ない人がたくさんいるかもしれない…。
生活能力というか、生きていく力を育てることの大切さを改めて感じたGuoぱんだです。
6月の2歳児クラスでのできごと。
複数の職員でクラスを受け持っていましたので、主活動をまかされる保育士やら補助の保育士やら雑務を担当する保育士やらと、週単位で分担をして動いていました。
Guoぱんだはその週は雑務の担当。
食後に洗いものや食事の後片付けなどをしていました。
園内では雑務も他の職員よりも丁寧かつ要領よく仕事を進められる方であると自負しています。
子どもたちは隣の部屋で午睡のため着替え中でしたが、背伸びをしてガラス戸からこちらを覗いている子や、Guoぱんだが子どもたちを確認するために20センチほど開けておいた引き戸からGuoぱんだをじっと見ている子がいました。
その中の一人Fちゃんが不思議そうに言いました。「先生、何やっているの?」
いつもやっていることなのに何を今更…と思いながらも、「お皿洗ってるんだよ~」と答えるGuoぱんだ。
するとFちゃんは近くの友だちと一言二言会話をした後に「大丈夫?…できるの?」と、とても心配そうに聞いてくるのでした。
「大丈夫、できるよ」と伝えると「わかった。終わったら遊んでよ」とFちゃんは着替えに戻っていきました。
一言二言の会話ですが、Fちゃんから得られたGuoぱんだの貴重な姿です。
Guoぱんだはどうも子どもたちからはいわゆるお母さんがする仕事をするのができないと思われているようです。
「先生は大人なの?子どもなの?」と聞かれることも多々ありますが、遊んでいる時には子ども以上に子どもになって遊んでいるようにみえるのでしょう。
“ちょっと不思議な年齢不詳の子ども”というイメージなのか…
FちゃんのGuoぱんだ理解は間違っていません。むしろ正解です。
普段ほとんど家事をしない生活感のないGuoぱんだの習性が子どもたちにバレてしまっていたのです。
保育中は当たり前のことですが、Guoぱんだは子どもと共に遊ぶことや過ごすことを基本にしています。
Fちゃんとの最後の会話「終わったら遊んでよ」に象徴されるように、なかなか自分を出せなかったFちゃんとは遊びの中で“信頼関係”を築けるように特に心がけていました。
このやりとりで、子どもたちの目にGuoぱんだという人間がどのような人物に映っているのかがよくわかり自分の理解に繋がったと同時に、Fちゃんとの信頼関係ができたことを確信することもできました。