腰の痛みから歩くのにも支障をきたすようになってしまったので、とうとう整形外科にお世話になったGuoぱんだです。
椎間板からくる神経症(病名が聞き取れなかった)らしく、とりあえずしばらくは無理をせず静かに回復を待つ方がよいとのこと。
「身体中痛い!!」と言ったせいか苦痛を和らげる薬もいただき、夜は安心して眠れました。
首や頭も痛く重かったのですが、そちらまで改善して、一石二鳥です。
健康にはご注意あれ…
いくつのかのことを一緒にするということが出来る人がいます。
Guoぱんだもテレビを見ながらはさみを動かし歌を歌うとか、テレビをみながら書類を書くとか、音楽を聴きながら寸劇の台詞を考えるとか、愚痴をいいながら明日の製作の準備をするなど当たり前のようにします。
それが高度であればあるほど、ちょっと聖徳太子気分になります。
さて、保育をしていく中で子どもたちが工夫をして課題をクリアするという場面に遭遇することがあります。
例えば…
棚の上にティッシュがありました。
2歳児のAちゃんが鼻水を拭こうとテッシュをとりにいきました。
棚はAちゃんよりもはるかに高く、テッシュには手が届きません。
Aちゃんは先生に声をかけようと思いましたが、先生は他のお友だちと絵本を読んでいて声をかけられません。
まわりを見渡すと椅子が目にとまりました。
Aちゃんは椅子をもってきてその椅子の上に乗りテッシュに手をのばしました。
テッシュに手が届き無事に鼻をかむことが出来ました。
さて、自分でティッシュをとることができたAちゃんにどのような声かけをしてあげますか?
たぶん「Aちゃん、自分でテッシュとって鼻をかんだのね。こんなに高い棚の上のティッシュをとれてすごいじゃない」など賞賛の声をかけてあげるのではないでしょうか。
これはAちゃんがどうのようにしてティッシュをとることができたのかを、細かくみていたからこそかけられる賞賛の言葉です。
では、Aちゃんが椅子の上に乗っている場面だけをみたとしたら、どのような声かけになるでしょうか。
「Aちゃん!!危ないじゃないの?椅子の上にのったらだめでしょ!!早く降りなさい」なんてことになるかもしれません。
ティッシュをとるどころか、鼻をかむことすらできません。
出ていた鼻水もどこかにいってしまいます。
GuoぱんだがAちゃんであれば間違いなく思うでしょう。
『だったら棚の上にティッシュを置いておかないでよ。みんながとれるところに置いてよ』と。
後者はティッシュの置き場にはなんの意味もありません。
『子どもが自由にとれないようにしてあるのです』というのであれば、子どもが鼻をかみたい時にすぐに保育者が気づいて対応する必要があります。
Aちゃんのティッシュを手にするまでの過程を把握していることで、手の届かない棚の上にティッシュがあることに意味がでてくるのです。
そして、Aちゃんが椅子にのってティッシュをとるという行為にも意味がでてくるのです。
それは、あえて棚の上にティッシュをおいてとりにくくしてティッシュが必要な時に子どもたちがいろいろな方法でとろうとする力を育てようという目標かもしれません。
自分なりに考えようとする力を育てることが目標かもしれません。
たとえ絵本を読んでいても、前者のような離れた場所にいる子どもたちの様子を把握できる聖徳太子のような保育者でありたいGuoぱんだです。