昨日までは両胸をはじめ全身が痛いので、全身に毒素が回っているのではないかと心を病んでいましたが、精密検査が終わったら、全身の痛みがなくなったGuoぱんだです。
今の痛みは針生検の穴に集中しているので、足の痛みも気になりません。
心の持ち方でいろいろなことが変わるなと思います。
長編連載二日目…
①Aちゃんがブランコで遊んでいたらBちゃんがやってきて「かわって」と声をかけます。Aちゃんが「いや」と答えるとBちゃんは保育者の方に駆け寄り「AちゃんがずっとやっているからかわってっていってるのにAちゃんがかわってくれない」と言いにくる
この事例に、「ついさっき園庭に出たAちゃんがブランコをしていたら、少し遅れてBちゃんがやってきて……」ともう少し状況を詳しく説明すると、保育者側からの見え方が変わってきます。
ちょっとしか乗っていないのに代われと言われたら、あなたならば素直に交代できますか?
でも、ここで「いや」ともう一度言おうものなら「まあ、Aちゃんって意地悪なのね。……」と長いお説教をもらうことも容易に想像できるでしょう?
保育者がBちゃんの味方になっている以上、逆らわないのが得策です。
しかし、交代させられたAちゃんは消化不良です。
Aちゃんにしてみれば、少ししかブランコをしていないのにたくさん乗っているという嘘情報を流され、保育者には強制的に交代のタイミングまで決められて、せっかく楽しくやるはずだったブランコも集中してできません。
「いや」と否定をする子は意地悪な子と決めつけてしまっていいのでしょうか。
むしろ「いや」と断ったAちゃんを「自分の思いを伝えられて偉かった」と賞賛したいくらいです。
それぞれにブランコをやりたい理由や目的があります。
Bちゃんのブランコをやりたい気持ちだけを認めるのではなく、「いや」といったAちゃんの思いにも寄り添って、どうして「いや」なのか理由を聞くことでもっと違う対応ができたはずです。
Aちゃんにしてみても思いに満足すれば、いつまでも「いや」とは言わないのではないでしょうか。
手っ取り早く保育者を味方につけてブランコを自分のものにする方法ではなく、子どもたちにはもっといろいろな方法で “順番に代わる” ことを学んでほしいと思います。
自分たちでトラブルを解決する力は大人に助けてもらうだけでは培っていけません。
生きていく力を養うためには子どもたちなりに工夫したり悩んだりすることも大切な時間です。
そこを理解して子どもたちに対応していけば、子どもたちも安直に保育者に助けを求めず、自分たちでトラブルを解決したり、気持ちの擦り合わせをしようとする姿も見られるようになります。
さて、Guoぱんだはこんなこともしてみました。
『園庭に出て一番にブランコにのってあそぶ』です。
子どもの気持ちの中に大人は子どもに合わせてくれるという思いが少なからずありますが、天邪鬼Guoぱんだは一筋縄ではいきません。
遊びたい気持ちや交代に大人も子どももありません。
子「Guoぱんだ先生、ブランコかわってー」
G「えーっ、まだやったばっかりだからいーやー」
子「どうしたらかわってくれる?」
G「どうしてもいやー。それに高く漕いだから止め方がわからないもん」
子「…足を下に着ければいいでしょ」
G「そうかーやってみるー」
子「じゃあ、10数えたらかわってよ」
G「10じゃ少ない!高く漕ぎたいから100数えたらいいよ」
子「そんなのだめだよ。みんな待ってるもん」
G「だっていっぱいやりたいんだもん!!ヤダヤダヤダー!!」
子「大人なのに…子どもみたい…」
G「だってーみんなだってこうやってかわってくれない時あるじゃん!!」
子「子どもはいいの。大人は恥ずかしいからやめた方がいいよ」
…この時は最後は「見てて恥ずかしいから本当にやめて」と子どもたちに諭されてしまいましたが、こんな些細なやりとりの中でも、子どもたちなりに良いこと悪いこと、自分のこと他人のこと、他から見た目、声かけの仕方などいろいろ考えていることもわかります。
長編なのでまだ明日につづく!!