昨日は夏至でしたね。
日が沈むのが19時頃の今。
19時でも明るいと時間の感覚がわからなくなるのはGuoぱんだだけなのか…
長編3日目。
②CちゃんがクマのぬいぐるみでままごとをしていたらDちゃんがやってきて「それかして」と声をかけます。Cちゃんが「使っているからだめ」というとDちゃんは保育者の方に駆け寄り「かしてっていったのにDちゃんが全然かしてくれない」と言いにくる
この事例のクマのぬいぐるみの後ろに「Cちゃんがクマのぬいぐるみを自分の子どもにみたててままごとをしていたら…」を付け加えたとしたらどんなことになるでしょう。
よく見かける仲介方法を実行したら、Cちゃんはこの後今までやっていた遊びが継続するのでしょうか?
クマのぬいぐるみは大事な一役 “子ども” だったわけですから、子どもが奪われてしまった時点で今まで楽しんでいた遊びは中断となります。
Cちゃんはクマのぬいぐるみを使ってあそんでいたのです。だから「だめ」なのです。
自分に置き換えてみても、今その時使っているものを「かして」と言われても貸すことはありません。貸すのは使い終わったらではないでしょうか。
保育者の一種自己満足な対応のおかげでCちゃんの遊びは終わってしまったわけです。
もしかしたら保育者サイドで、いつもいつもCちゃんがクマのぬいぐるみを使っているので、Dちゃんをはじめ他の子どもたちが使えなくなっていたから…という理由もあるのかもしれませんが、一方的にクマのぬいぐるみを手放すように誘導してしまうのはいただけません。
保育者サイドの思いと遊びの継続は全くの別問題です。
そのような状況があるのであれば、遊びに入る前や終わった後などの違う機会に対応策ができるはずです。
子どもたちが「いや」「だめ」というと、とかくわがままだとか意地悪だと決めつけられてしまうことがあります。
時にそのようなこともありますが、全てがわがままや意地悪ではなく自分の思いを伝えようとしていることも多々あります。
すぐに貸し借りができる子が素直でいい子と考える傾向がありますか、裏をかえせば言われたら素直に従うことでいい子になろうとしている子はいませんか?
そしてそれをさせているのはまさしく自己満足な対応をする保育者かもしれません。
一人ひとりの子どもの様子を把握しているのであれば、Cちゃんがどんな思いでクマのぬいぐるみを使っているかも、「だめ」がわがままなのか他の思いがあるのかはわかってほしいところです。
GuoぱんだはDちゃんが助けを求めにきたら「Cちゃんも使っているからかしてくれないんじゃないの?」と伝えます。
「だっていつもCちゃんが使っていて使えないんだもん」と言うようであれば、「使い終わったら貸してねって言ってみたら?」となど声かけの仕方を伝えます。
子どもたちの間でのやりとりはこれ以上はのぞみません。
この時に「Cちゃんって意地悪ね」などと子どもに伝えてはいけません。完全な個人的主観です。
そしてCちゃんがあまりにもクマのぬいぐるみに固執してしまっているようであれば、Cちゃんの遊びが途切れた時などに保育者としての働きかけや関わりをしていきます。
2日前にcase-by-caseと綴りました。
そうです。まさにcase-by-caseです。
きちんと子どもたちの行動を把握していることで、その時々で対応の仕方は違ってくるのです。
ですから “よく見る仲介方法” をとらないといけない場面ももちろんあるのです。
case-by-caseと一言で言うのは簡単です、と同時に大変都合のいい言葉であるなと思います。
case-by-caseとは【原則にとらわれず、一件ごとの事情に応じて問題を処理すること】です。
子どもたちの様子を把握して、それぞれの場面に合った働きかけをしていきたいです。
そして、そこから子どもたちが導き出すたくさんの気づきを、保育者が把握して認めることで子どもたちの生きていく力も育まれていくのではないでしょうか。
…他にも都合のいい言葉だなと思う言葉があります。それはまたの機会に綴れたらと思っています。
長い連載にお付き合いいただきありがとうございましたm(__)m