保育の仕事をしていると、結構な割合で “都合のいい言葉” が出てくる…と、先日ブラック記事で綴りました。
今回もそんな都合のいい言葉です。
保育をするにあたっては、けして行き当たりばったりで過ごしているわけではありません。
子どもを保育するにあたっての計画というものがあります。
例えば、まずはそれぞれの園の基本方針があり、それを元に年間の計画を立て、月の計画を立て、週の計画、そしてその日の計画を立てて行くのです。
その計画を立てる時には、保育用語(Guoぱんだから言わせてもらうと曖昧な、どうにでも解釈出来る言葉)が出てきます。またそれを濫用する保育者もいます。
見合う、受け入れる、臨機応変、その場の状況に応じて、協力し合う、辞書で調べなければいけないような日常会話ではまず使わない言葉(書いた本人も意味が説明できない)など…
今回は季節柄《季節を感じる》というざっくりとした言葉を取り上げます。
何が問題?と思われるでしょう。
これは、季節の変わり目には必ず出てくる言葉ですし、年間を通してもよく計画の中に入ってくる言葉です。
《季節を感じる》のですから、曖昧でも何でもないように感じますよね?
でも、これを具体的に説明してほしいと言われたらどうでしょう。
Guoぱんだは月の計画に書いてあるのに、季節を感じる保育をしていないと思われる保育者に「 “季節を感じる” ってどこで感じようと思う?」と聞いたことがあります。
すると『散歩とかに行って季節を感じます』
「散歩に行ってどうやって感じさせるの?」
『……』
毎年みんなが書いてるし…季節の変わり目だし…季節を感じるなんて簡単簡単!!って感じなのでしょうから、答えられるはずはないのです。
これが経験の浅い保育者ならば、こんな意地悪な質問をする保育者の言葉をきっかけに、《季節を感じる》を深いものにしていってもらえばいいのかなと思います。
問題はベテラン保育者にこのような人が多いということ。
これではその後に続く保育者が《季節を感じる》保育がわからなくても当然でしょう。
つづく…