まだ学生時代、近視と乱視が幼少期からある友だちがこんなことを話し出しました。
「私、小さい頃から見えるものは全部ぼやけて見えてたの。よく転ぶし…。でもね、物心ついた時からだからはっきり見えないのが当たり前だと思っていたのよ。それが、メガネをかけることで世界はこんなにはっきり見えるんだって知った時には画期的だったよ」と。
なるほど…そうか…そういうことってあるよね。
この友だちとの会話は、Guoぱんだが当たり前だと思っていることは、実は当たり前のことではないのかも知れないと思ったきっかけの一つでした。
もしかしたら自分にはピンクに見えているものが、みんなピンクと表現していても実は見え方は違っているのかもしれないとか、柄がついて見えるものも他の人には無地に見えるとか…
「人にはいろいろな考え方があるし、いろいろな人がいていいんじゃない?だからこそ生きているのが面白い」というような考え方も同様かも。
子どもたちの行動は一人一人違います。
それを全て同じにしようとすること、またさせることで優越感を味わおうとすることは難しいことなのではないかと思います。そういう人をたくさん見てきましたが…
大人(保育者)側からみて不思議に思える子どもの行動を紐解いていくと、新しい発見や子どもたちが生活しやすく過ごしやすくなるヒントが見えてきます。
「かわいいー」とか「かっこいい」とか「当たり前だよね」「なんでこんなこともできないの」…簡単に発せられる深みのない言葉はたくさんありますが、簡単な言葉で済ませてしまうことの多い現実に怖さも感じます。
「あれ?」「これでいいの?」「なにか違和感があるけれどどうして?」など、ふと立ち止まって考える機会を持つことも大切です。
それが一人一人に合った関わりができる第一歩になるのではないでしょうか。
明日は “目” についての情報を綴る予定です。