3 初心忘るべからず
Guoぱんだです。
明日は金曜日。
やっと金曜日ですか? それとも、もう金曜日ですか?
4月は園に入園してくる子どもたちが多いです。
子どもたちにとってはまだまだ不安の方が強い園生活です。
これは職員も同様。
新しい環境に心も身体も落ち着かない毎日ですよね。
頼みの在園児も一つ大きなクラスとなり環境が変わりますし、職場に慣れているはずの職員もまた1からの出発。
全てが新しい空気に包まれてしまいます。
落ち着かなくて当たり前なのかもしれません。
本当であれば新しく仲間入りした職員に、この最初の段階で丁寧に園の様々な決まりごとことを伝えていけば問題はないのですが、先ほど言ったように全てが新しい空気の中ではそんな余裕はありません。
みんな自分のことで精一杯です。
“教えてもらわないとわからないこと”は丁寧に教えてもらうことができません。
例えば・・・タイムスケジュール、掃除の仕方、個々の子どもを見る上での注意点、保育以外の職員の細かい仕事等々。
掃除に何を使用するのかなんて園によっても違うでしょうし、Aちゃんがガブリンちゃんだなんて初対面ではわかるはずもありません。
タイムスケジュールだって保育をしているとあるようなないような感じですし、保育以外の仕事なんて気持ち悪くなるくらいあります。
なのに伝えられるのは「子どもの目線に立って子どもを見る」とか、理想の保育論についてや、かみつきなどの事故があると「なんでちゃんと見ていなかったの」というようなお叱りの言葉。
いわゆる、“保育はこうあるべきものぞ”という先輩職員たちがそれぞれに思う保育のあれこれ教えをいただくわけです。
Guoぱんだは思います。
そんなこと言われてもわからないよ〜
1週間もすると、先輩職員から苦情が入ります。
「いろいろ教えているのになかなか仕事を覚えないってありえない」
そして自信をもってこう続けます。
「私たちの時はこんなんじゃなかった。言われなくてもきちんとできていた」
「わからなければ聞けばいいのに」
( ̄◇ ̄;) 本当ですか???
少なくとも新人Guoぱんだにはできませんでした。
Guoぱんだの新人時代は今よりはまだ時間に余裕があったかなと思いますが、その頃でさえ、保育について教えてもらう時間はほとんどありませんでした。
「それが当たり前だったよね」と先日、あることの相談にのっていただいた元保育士さんも言っていました。
そうです。教えてもらわなくて当たり前、聞かなくて当たり前。
「なんでも聞けばいい」「聞いてできるようになる」、それは手っ取り早く仕事ができるようになるための一つの方法です。
“教えてもらわないとわからないこと”は、手っ取り早く覚えなくてはなりません。
早く覚えて未熟ながらも他の職員と同様にできるようにすることが大切です。
では、先輩職員が教えたがる“保育はこうあるべきものぞ”は手っ取り早く覚えるべきものなのでしょうか?
というよりも、手っ取り早くわかることなのでしょうか?
新年度がはじまり、一週間立ちました。
一人前の保育者になるのには何年かかるのでしょう。
先日参加した研修会で講師の先生が「一人前の保育者になるには、最低でも3年はかかるでしょう」と言っておられました。
はずかしい話、Guoぱんだが自分でそう感じるようになったのは、20年近く経ってからです。
たった一週間で保育の全てがわかるなら、誰も悩んだり不安になることはありません。
それができるのならば、Guoぱんだの20年余の保育士生活はなんだったのだろう・・・になりませんか?
Guoぱんだは、“保育はこうあるべきものぞ”は人から教えられてできることではないと思うのです。
それは自分で育て上げていくものです。
人から言われたものはあくまでもその人の“保育はこうあるべきものぞ”なのです。
人はそれぞれに違うのですから、同じにできるはずはありません。
「私たちは新人時代から完璧だった」なんて思っていることがそもそも怖いです。
むしろ疑問をもたずにすんなりと生活していけることの方が心配です。
たくさん考えて、悩んで、発見して・・・自分の思う“保育はこうあるべきものぞ”を創り上げることの方がずっと楽しいし、ステキな保育になると思いませんか?