何気ない日々の生活に保育のヒントを見つけたい!

子どもたちと一緒にドキドキ!ワクワク!〇〇〇〇!していますか?

39 気づくということ②

今日もいい天気です!!

昨日の内容がわかりにくーい!と思っているGuoぱんだです。

しかし、変えようがないので更に今日はわかりにくい内容のつづきです。

お付き合い、ありがとうございます。

 

 

Guoぱんだはある時、汚れていたカーテンがいつの間にか綺麗になっていたり、花瓶の花に枯れたものがなく綺麗さが保たれているのはどうしてだろうと不思議になったり、埃をはらおうと思ったらその場所に埃がなくなっていることに気づくことがありました。

確かに普段から気にならないわけではありませんでしたが、いつも綺麗になってるから、やらなくても大丈夫だったのです。

…でもよくよく考えてみれば、自分が手を入れていないのに勝手に環境が変化したり綺麗になることはないのですから、本来はありえないことなんです。

考えられることは一つ。誰かが手を加えている…

こんなに簡単なことなのに意外に気づかないものなのです。

Guoぱんだの場合は情報集めや現場の張り込みを行いました(もちろん保育に支障のないように)

そして発見するのは自分以外の職員が環境を整えようと動いている姿でした。

 

 

様々な理由はあると思いますが、意識できる人と意識できない人の違いの一つは“気づくか、気づかないか”ではないでしょうか?

気づくという行為は簡単そうにみえますが、もしかしたらとても難しいことなのかもしれません。

自分にはない発想や行動を知る、見つけるということなのですから・・・

 

もしかしたら自分も含めた他人がやっていることは小さなことかもしれません。

ある人からしてみたらどうでもいいことなのかもしれません。

忙しくてそんな小さい変化に気づいたり、まわりをみる余裕はないという人もいるかもしれません。

でも一歩そこで立ち止まって、何気ない風景、いつもと違う何かに気づくことは大切なことのように思えてなりません。

 

「カーテンの洗濯、K先生がやってくれたんですね」

「G先生はいつも足洗い場を綺麗にしてくれているでしょ」

「Y先生はトイレのこの一角の埃がとても気になるらしいよ」

「T先生はみんながこっちをやるから私はみんなが気づかないところを見つけてやるって言ってましたよ」

「いや〜、職場っておもしろくできているね」

その横で落ち葉を集める園長先生がいて、花瓶の花を手入れしている主任がいて、サッシの溝を必死で掃除する若い職員がいて・・・

みんなで一つということに気づいた時にGuoぱんだはとても嬉しく思ったのを今でも忘れません。

 

Guoぱんだはこんな当たり前のように繰り広げられていた情景が失われてしまったことが残念あり、それがみんなで創り上げていく職場、保育ができない現状の一つなのではないかとも思います。あくまでGuoぱんだの元職場だけのことと願いたいですが…

 

 

他にも、日常の生活の中にたくさん気づく場面があります。

子どもの小さな成長に気づくことが出来る保育者であるのならば、当たり前のように過ぎている事柄への興味やそこにある小さな変化にも敏感でありたいと思います。

気づかないから仕方がないのではなく、気づこうとする姿勢を持つことが必要なのではないでしょうか。

そしてその気づきの中から感謝の気持ち、たくさんの人の中で活かされている自分、そんな自分もどこかで誰かに気づきを与える人になっているのかもしれないという思いをもつことの大切さを感じたいです。