119 人生のテーマについて気持ちの整理をしてみました…
一昨日の夜、Guoぱんだにとってとてもショックなニュースが飛び込んできました。
残念でなりません。この記事を綴りながら実は泣いています。新聞の記事を見ては泣いてます。
野球同様、物心ついた時から相撲大好きGuoぱんだにとっては、千代の富士は大横綱であります。
そして八角親方同様、千代の富士は不死身だとも思っていました。
千代の富士のまわしの色は水色だったんだよ!とうんちくを述べても「ふーん」と流されるのがオチですが、そんなことまでよーく覚えています。
怪我続きの相撲人生、ですから昇進もスムースではなかったと記憶しています。
そのような中で、まさに “柔能く剛を制す” “小よく大を制す” “小さな大横綱” の相撲を見せてくれる千代の富士の取り組みに一喜一憂しました。
そして「体力の限界」と引退された時の会見をみて、自分もこうありたいと思ったものです。
仕事を20年余続けてきたGuoぱんだの中には常に千代の富士の “引き際の潔さ” がテーマとしてありました。テレビでは “引き際の美しさ” と表現していました。
ですから、職場で信じられない行為を受け、この団体や職員たちにはついていけないと悟った時「辞めさせて下さい」となんの迷いもなく仕事を辞めることを決めたのも千代の富士の影響です。
千代の富士は相撲を続けようと思えばまだ続けることができていたとGuoぱんだは思います。
でも、千代の富士がそうしなかったのはなぜなのか…
そしてもう一人、同じようなことをGuoぱんだに言ってくれた先輩保育者がいます。
「仕事の辞め時を見極めなさいね」
働き過ぎなGuoぱんだを心配してかけてくれた言葉です。
この言葉はそのテーマを説くヒントかもしれません。
Guoぱんだも我慢して働こうと思えば働けたのかもしれません。
Guoぱんだが我慢をして、指示されることや人を裏切る手助けをすることに素直に従うことができていれば当たり前のように仕事を続けていられたはずです。
でも働いていても自分がやるべきこと、大切にしたいことを全うできないのであればその場にいるべきではない、自分らしさを押し殺してまで人間として信頼出来ない人たちに従う理由はないと考えました。
そんな自分のテーマを実行したからでしょうか?
今、仕事を辞めたことには全く後悔はありません。むしろわかっていたのにもっと早くテーマを実行しなかった自分に後悔しています。「その後悔は今から取り戻しましょう」と言ってくれた方もいますが、その通りですね。
人それぞれ生き方が違いますので、何が正解で何が不正解というものはありません。
最後の最後まで力を使い果たすことが美徳、とされる方もいるのかもしれません。
Guoぱんだの生き方の美徳は、これからも変わらず “引き際の潔さ” がテーマです。
太く短く…では辛いので、長いけれど太い生き方を持つことで、“引き際” に後悔しないようにしたいと思います。