291 楽しかったのは誰? 後編
昨日は久しぶりに “千と千尋の神隠し” を眠らずに観たGuoぱんだです。
久しぶりだったからか、妙に新鮮でした。
さて、昨日のつづきです。
今回はかなり厳しめの内容ですが、同じようなことに悩んでいる保育士さん、不思議に感じる保育士さんもいると思いますので、今日は昨日の解説をしてみます。
物事を自分に都合よく考える人(反面教師元上司や自分のことしか可愛くないX保育士のような人)はこういいます。
①の方は保育者を型にはめてしまい、自主性がない保育が展開されていて、保育者それぞれの良いところが発揮されず、困った時に臨機応変に対応できない。
②の方は「みんながやる気を持って自分で考えて動いている」「自然に自主的な保育ができている」「一人が責任を持ってやるのではなく、皆が協力し合う保育が遂行できている」
…本当に?本当にそうですか??この場合、まぢか!?と言いたいですね…
Guoぱんだはこう考えます。
①は一見計画書通りに動くだけに見えますが、計画が細かく立てられているからこそ、安心して自分の仕事を遂行でき、回りにも目が向き、保育者それぞれが子どもの姿を把握し、みんなで楽しめる一体感のある行事ができる…
計画ができているからこそ、臨機応変に動く余裕が生まれるのです。
②は臨機応変ではなく、単に行き当たりばったりです。
楽しいのは、自分は何も動かずにいる一人の保育者だけではないでしょうか?
周りが大人だから文句も言わず子どもたちが困らないように子どもたちのために動いているのです。(X保育士のような人は自分のために動いてくれていると勘違い…恥ずかしいですよ)
意味を調べてみると一目瞭然ですね。
臨機応変…その時その場に応じて適切な手段をとること
行き当たりばったり…一貫した計画や予定もなくその場のなりゆきまかせること
さて、②のケースはどちらですか?
自分の園の保育者を思い返してみるといませんか?こういう二つのパターンの保育者…
もし、②のようなベテラン保育士さんがいたら、はっきり言って実は資格を持っているだけの子どもの気持ちも保育のことも何もわかっていない “なんちゃって保育者” かもしれないですよ。
「そんなに細かく計画書を作らなくても、臨機応変に対応することが保育者には必要。だから計画書はとりあえず書類としてあればいい」と、本気で言う保育者を見かけることがあります。
Guoぱんだはこんなことを平気で言いのけてしまう保育者をみると「ホント??」と思ってしまいます。
こういう人に限ってその場の状況に応じて適切に対応してはくれませんからね…要するに保育がわかっていないということを暴露してるいるのです。
臨機応変、見合う、その時々の状況で、子どもの動きに合わせて…まさに今後徐々に綴ろうと思っている保育者の使う実に都合のいい言葉のオンパレードが保育の中で繰り広げられる訳です。
説明してくださいと言われたら『説明できない都合のいい言葉』
自分では説明できず実行もできないけれど使う『他人にお任せの都合のいい言葉』
うまくいかなかった時に「あなたが動かないから…」と他人に罪をなすりつけることもできる『逃げの都合のいい言葉』
誤魔化さない保育をしたいと思います。