Guoぱんだです。
昨日のつづき…
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Guoぱんだが考える保育における “失敗” とは・・・
・うまくいかなかった点を修正しようとしなかったり、自分なりに考えようとしなかったこと。
・うまくいかなかったことを振り返りもせずそのままにして、次の保育の糧として使えなかったこと。
・保育者中心の独りよがりな保育を展開して、そこに子どもの気持ちを汲み取っていないことにすら気づいていないこと。
・その結果、子どもたちの成長に悪影響(事故や怪我も含む)を及ぼしてしまった。
“しっぱい(保育で中で立ち止まることや振り返ること、自分の保育が子どもにとって有意義だったのかなぁと悩むこと)” は、若いうちにたくさんした方がいいんじゃない?と思います。
“しっぱい” の中にたくさんの学びがあり、子どもにとっても保育者にとっても成長があると思うのです。
子どもたちと一緒に成長したっていいし、子どもたちが保育者を成長させてくれることもあるのです。
Guoぱんだも “しっぱい” は、たくさんしてきた思い出があります。
自分が考えているようにいかないこと…“しっぱい” なんて毎日いくらだってあります。
何年も経験を重ねた今でもあります。
でも、それをそのままにはしていないですよ。
自分の振り返りや反省、改善点を考えていますから…
それに自分が考えていたことが正解ではなく、実は予想外に子どもたちが示した反応が正解だったこともあるわけです。
よかったなと思うことも、反省するようなことも、すべてが “これから” につながっていくのです。
健全な保育をしているのであれば、子どもにとっても保育者にとってもどちらも無駄な経験でははずです。
無駄になるのだとしたら、それは “失敗” に気づかない保育をした時です。
今、“しっぱい” しなくてどうするの?“しっぱい” を “失敗” にしたベテラン保育者が山のようにいるわけですよ。見ていて恥ずかしくなるような保育者が…
“しっぱい” は “失敗” ではなくて “これからにつながる経験” なのです。
大切な子どもたちには “失敗” 保育をしてはいけないのですよ。
“しっぱい” を本当の“失敗”にしてしまわないようにしたいですね。