340 完璧な人間なんていますか?〜完璧な保育とは? 後編〜
昨日のこちらの記事のつづきです。↓
Guoぱんだは毎日コツコツと継続することは苦手です。
定期的に花に水やりが出来ずに、保育園でクリスマスに飾るポインセチアをクリスマス前に枯れさせてしまう、花を枯らす専門家です。
ですから1人で管理はできないGuoぱんだは…
「すぐに水やりをするのを忘れちゃうんだよね~枯れちゃったらどうしよう」と子どもたちの前で悲しそうにつぶやきます。
お世話好きな子どもたちですから「え~そうなの?いいよ。大丈夫、オレらがちゃんと毎日お水あげてやるよ」と喜んで引き受けてくれます。
もちろん有言実行。
毎日何も言わなくても水やりを子どもたちが行ってくれます。
率先してお世話をしてくれますのでGuoぱんだのすることは「みんなありがとう」と感謝の気持ちを伝えることと、休日前に水をきちんとあげてから帰宅するということになります。
欠点を子どもたちに補ってもらっています。でも不思議です。子どもたちにこのようなことを協力してもらうようになってから、自分も水やりを意識してできるようになりました。
子どもたちにとって様々な経験は、偶然の出来事であり、それが計算された出来事であるはずもありません。
ここで大事なのは、その出来事が子どもにとっては偶然の出来事ですが、保育者にとっては計画的である程度予想していた出来事であったのか、行き当たりばったりの計画性のない偶然の出来事であったのかということです。
そこは専門職の保育士です。
前者の計画的、予想していた出来事でありたいです。
昨日の記事の若手保育士さんの言う、よどみなく保育者の言う通りに子どもを動かし展開する欠点のない “完璧な保育” 中には、子どもたちの心の動きや子どもたちなりの思いの部分が全く感じられません。子どもは大人の言う通りに動くもので、違う動きはしてはいけないのですから仕方がないのですが…
“完璧な保育” を展開するのは、保育士側の自己満足にすぎないのではないかと思えてなりません。何にしても、欠点だらけのGuoぱんだには “完璧な保育” はできないと言うことですが…
Guoぱんだは欠点のない独りよがりな完璧な保育を目指すのではなく、“子どもたち(大人も)が成長できるための保育” “子どもたちの心が感じられる保育” を目指したいのです。
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