Guoぱんだです。
卒園シーズンですね。
何となく決まってはいるものの、その年その年のカラーを出しながら卒園式のプログラムを考えるのは年長担任にとって大変だったことと思います。
また、準備もたくさんありますから、周りの保育者や職員の助けもないと卒園式は迎えられません。
さて、卒園式後は謝恩会のようなものがある園も多いです。
そして決まって最後に “担任からの言葉” のようなものがあります。
この時に参加者みんなが参加できていた卒園式かどうかがわかるような気がします。
保育園という環境は、在園期間が6年以上ある子もいれば、一年未満の子もいます。
その年毎に担任が変わることが多いですし、給食や事務の職員も含めて朝早くから夕方遅くまで園が開いている中で、今の担任以外の多くの職員と関わりを持つのが保育園でもあります。
X保育士のような自分が主役でいたい保育者はこんな言葉を投げかけます。
「みんなはこの一年、先生のお話をよく聞いてとても成長しました。先生はみんながこの一年でこんなに成長して卒園してくれることがとても嬉しいです。先生と過ごしたこの一年。みなさんはどうでしたか?楽しかったですか?………続く」
そして拍手喝采のあとに、園長よりも大きな花束を担任がもらう…
どうでしょう。こういう場面、目に浮かびますよね。
この時、同じ謝恩会に参加している一輪の花をもらった他の職員はこう思います。
『だから何??』『この子たちを見ていたのはあなただけじゃないでしょうに』『そもそも今日の主役は貴方ではなくて子どもたちと保護者じゃないのかい?』
いいんです。いいんですよ!!
その一年を担任として過ごしたのですから、一年の自分の成果を表現するのは当たり前です。
一年の思い出をたくさん語りたくもなりますよ。
でも、よく考えてみてください。
卒園を迎える最後の一年をたまたま任されたのはその担任ですが、長い保育園生活の中では他の年齢の時の担任もいて、他のたくさんの職員もいて、その毎年の、毎日の積み重ねがあって今があるのです。
あまりにも現担任(担任を2年以上した人だけ特別扱いっていうのもありました。これはかなりエゲツない。一年しか担任をしなかったら担任とは認めてもらえないの?と受け止めますよね。感情のある人間の集まりですから…)をアピールしすぎると、その最後の一年を任されなかった多くの保育者の気持ちが適当に扱われているように思えてしまうものです。
また、謝恩会はけして職員対象のものではなく、保護者も子どももみんながみんなでありがとうの会でもあるわけで、みんなで作り上げる会なのだとも思います。
ちょっとした心遣いで1人が主役の会ではなく、みんな(職員も保護者も子どもも)が主役になれる会に変化もするものです。
卒園式の主役は誰なのか、再認識したいと感じます。