4-167 給食の思い出〜口に合うもの、合わないもの〜
Guoぱんだです!!
本日は久しぶりに給食の思い出を綴りたいと思います。
食べたくないのに、食べるきるまで残されていた学校給食に全くもって良い思い出はありません。
「美味しい」と言われても、それはあくまでも個人的な見解で、美味しいと思う人もいれば美味しいと思えない人がいるのは不思議なことではありません。
Guoぱんだは、口に合わないものは絶対に食べようとしませんでしたし、どんな手を使ってでも食道を通過させない工夫もしました。
そんなある意味不思議なGuoぱんだの行動は、給食命の人間からすると不可解だったに違いありません。
意地の悪い同級生が家で給食を食べないGuoぱんだのことを噂するらしく、スーパーで母親同士が出会うと声をかけられたそうです。
「Guoぱんだちゃんは、いつも甘やかされていいものばかり食べているから給食が食べられないのよ。贅沢ね」と…
それを聞いて「悪いものを食べさせることを肯定しているのか?良いと思うものを食べさせて何が悪い。くだらない。大きなお世話だ!!」と、母親は最初から相手にしてはいないようでしたが、特に良いものを食べていた訳ではなく、肉嫌いなGuoぱんだのことを思い、例えば脂身の少ない肉を選んだりしている程度の選別。
ヒレ肉をいつも食べているとか、フカヒレを食べているとかいう贅沢ではのないです。
逆に言わせてもらえば、添加物だらけの安い食品を与えて「好き嫌いがない」と息子自慢しているお節介おばさんの方が問題では?と子ども心に思ったものでした。
同じものを食べても、「美味しい」と思える人もいれば、「口に合わないな~」と思う人もいます。
逆に「口に合わないな~」と思う人がいるのに、「美味しい」と思う人もいます。
生きていく中で、“口に合うもの” が増えることは嬉しいことです。
でもそれは、“美味しい” を強制することとは明らかに違います。
「美味しいから食べなよ」はあくまでも個人的見解。
あなたの考えを他人に押し付けているだけです。
自分の口に合わないものを「美味しいから食べなよ」と言われてどう思いますか?
Guoぱんだならばこう思います。
美味しくないよ💢こんなもの美味しいとは味覚がどうかしているんじゃないの💢大きなお世話じゃ💢と…
味覚が決まっていない時期には、美味しいかどうかではなく、その食品がどんな味なのかを “味わってみること” が大切なのではないでしょうか。
そうなると、声かけも必然的に変わってきませんか?
例えば…
「どんな味がするのかなぁ、食べてみようか?」
好みの味でなかったならば…
「(好きな味になるかもしれないから)また食べてみようね」
強制ではない言葉かけを考えていきたいですね。