Guoぱんだです。
時々綴っている都合のいい言葉シリーズ『臨機応変』の昨日の記事のつづきです。
ブラック記事ですので、ご覧いただく際には軽く流して読んでください。
『臨機応変』の意味を調べると、色々出てきます。
臨機応変とは
その場に応じて変化し、その変化に応じて適当に対応すること
その時その場に応じて、適切な手段をとること
型通りの処置にとらわれず、時と場合に応じて適切な手段を講じること
…意味を見ただけでも、かなり怪しい雰囲気の言葉です。
こんなことが現場で誰しもできるのでしょうか?
多分できません。
できている!!という方もいるかもしれませんが、かなりの確率で “しているつもり” になっているだけではないか?と自分を含めて考えてみても思います。
自分は臨機応変に動いてるつもりでも、相手にとってはそうではないことなんてたくさんありませんか?
100%の人間が満足する臨機応変さが万民にできるのか?という話です。
『臨機応変』…
当たり前のように保育士用語で出てくる、Guoぱんだが思うには一番手二番手にもきそうな都合の良い、聞こえがいい、曖昧すぎて危険な言葉です。
どう考えてもできないことを、どうにかしてやっている風に見せたい時に体良く使うスペシャル適当保育用語。
適当にその時の状況で行き当たりばったりで動いたり、誰か一人が頑張ってなんとかこなすことができただけとか、偶然できた、などということは、本来の臨機応変さではないと考えます。
Guoぱんだが考える保育現場における臨機応変さとは、日々の生活が安心した環境であり、日々きちんと計画がされていて、一人一人の動きも決まっている。
もちろん人手は足りている状態だが、万が一、イレギュラーなことが起こった時に職員、スタッフみんなでイレギュラーを協力して補っていく力。
イレギュラーなことがあった時に、どこかだけにしわ寄せがあったのなら、それはたまたま上手くこなせただけのことであり、どこかで嫌な思いをしている人がいるのです。
一人であたふたしてなんとかクリアしたイレギュラーは一人だけの働きであり、他の人は臨機応変で動いてはいないのです。
それは的確な臨機応変さが発揮されていたとは言えません。
本当の意味で臨機応変さができていた時には、職員、スタッフの達成感がありますし、「大変だったけれど良い1日だっだね」と言える環境が出てくるはずなのです。
一人でもそうではない気持ちを持つ人がいるのならば、それは臨機応変ではなく、単に自分勝手に、その場しのぎで過ごしているとも考えられます。
自分勝手ではなく臨機応変さを機能させるためには、根底に揺るぎない計画やマニュアルが必要であり、それを理解して日々動いてる職員やスタッフがいるということ。
どこで何が今必要であるのかが理解できているのかということ。
何もない状態、足りない状態で機能することはありえないということ。
何より自分のことだけでなく相手のことを考えることができているかということ。
………まだありそうですね!!
曖昧な言葉に流されず、その臨機応変さがどこからくるのか確認することも必要ですよね。