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62 学ぶ方法①

昨日美容院に行き、異常に疲労しました。

本当は眠いので寝たり、ボーッとしていたいのですがそうもいかず、喋るのが疲れる原因の一つなのかもしれません。

最近はお喋りが苦痛というほどでもないですが、基本ボーッとしているのが好きなので疲労という形で出てしまうのかなと思います。

以前何かのテレビ番組で美容室に‘会話をしなくていい席’を作って実験をしていましたが、それがあったら多分いや100%そこに座るであろうGuoぱんだです。 

 

 

 

さて、以前も綴りましたが、Guoぱんだが若かりし頃はよくも悪くも言葉にして保育のなんたるかを教えてもらうことはほとんどありませんでした。

聞く、言葉で教えてもらうという習慣はありませんので、自分から聞くことはほとんどありません。

教えてもらえる機会もないので、Guoぱんだは自然と“見て学ぶ”方法で保育を学びました。

 

“見て学ぶ”の難しいところは目に入るもの耳に入るものはよいことばかりではなく、それってどうなのかなと思う場面を目にしてしまうこともあり、それらをいかに消化したり選択し自分の学びにしていくかというところです。

ですからこの“見て学ぶ”は一日で解決できることではないですし、学んで自分の保育に取り入れるまでには時間がかかることになります。

Guoぱんだがこの“見て学ぶ”が存分にできたのは、様々なタイプのベテランの保育士さんに囲まれて自分で考えることのできる場や時間をたくさんいただけたことが理由の一つだと思っています。

いろいろな場面を見て考えることもたくさんできましたので、“見て学ぶ”上では最高の環境だったのかもしれません。

“見て学ぶ”のよいところは、自分で収穫した学びですから一度自分の中に入ってしまうと忘れないことです。

 

 


“言葉を通して学ぶ”こと…

言われたり聞いたりして学ぶこともたくさんあります。

 

研修や講演会などの機会はまさに“聞いて学ぶ”です。

自分が考えてもいなかったことを知ることができるチャンスであり、新しい発見もたくさんできます。

これも“見て学ぶ”同様、聞いて学んで自分の保育に取り入れて自分のものとしていくまでには時間がかかるのではないかGuoぱんだは思います。

 

とかく保育現場でこの“言葉を通して学ぶ”ことは‘言われて学ばされる’につながることがあります(Guoぱんだの元職場は最近はまさにこれで、本人の意思なしで押し付けられてしまう現状がありました。そんな職場ばかりではないとは思いますが…)

以前『成長する時間』で綴りましたが、共に学ぶ姿勢を持った言葉かけや新しい気づきのきっかけとしての言葉かけであれば学びは多くなるでしょう。

前述の‘言われて学ばされる’が顕著に現れると、それは言った相手の保育であり言った相手の考え方でしかありません。

自分はその人にはなりえないわけですから、あくまでもたくさんある保育の方法の一つで、自分の保育ではありません。

それに共感し取り入れてみようと思ったとして、言われてすぐにできるのかと言われると、これもまた自分との違いを精査して消化して自分の保育として活かすには、本来ならば更に更に時間を要するのではないかと思うのです。

言われて直ぐに実績に残せる天才はそうそういません。

しかし実際は「なんで教えたのにできないの?」「こう言ったのにどうして同じようにできないの?」「ホント、ダメな人ね」となってしまうのです。

 

 

つづく…