先週末に突然梅雨入りしましたね。
梅雨入りの目安が雨が多くなってきたから…というような、なんとなくで決められているとかテレビで言っていました。
だったらあえて梅雨入りと断言しなくても、そろそろ梅雨入りかなーと各々が思いながら過ごすでも問題ないのではなかろうか…と思ったGuoぱんだです。
なんにせよ、染色を優先したためまだ今年は縮毛矯正をしていないGuoぱんだは、しばしの間、髪のクルクルと闘いながら過ごす毎日となりそうです。
ステキだなと思える保育を話で聞いて、また目にしたとして、明日から即実行し結果が出るってことはありますか?
もしかしたらできてしまういわゆる天才の方もいるのかもしれません。
Guoぱんだは天才ではありませんので、即実行して結果を生み出すことは出来ません。
ステキだなと思えたことと自分の保育の共通点をみつけて、ステキだなと思える保育に近づくように自分なりに工夫していく時間がないと、単に言われて頭で考えてするうわべだけの保育だとGuoぱんだは考えています。
ある時、Guoぱんだの経験談をいろいろ悩む新人男性職員と話をした時のこと。
「先生の話、すごくおもしろかったです。もっとそういう話教えて下さい」と彼は言いました。
「いくらでも話しますよ。でも…話をきいて終わりにしないでね。あなたなりに活かせるように考えてみてね。でなきゃ意味もない単なるおもしろ話や暴露話になっちゃうから…」と叱咤激励しました。
Guoぱんだは、おかしいなと思ったり、それは子どものためにはならないだろうと思った時には意見はしますが、自分の思う保育を人に押し付けようとは思いません。
やってみたいことがあれば結果はどうあれ、まずやってみたらどうかというスタイルです。
むしろ自分の思う保育を伝えなければならない時には、押し付けにならないように必要以上に言葉を選んだりします。
最近は新人職員には特に「今はできなくていいよ。そのことがわかるには時間がかかるかもしれない。でも、今のこの場面はあの人からあの時に聞いた話に似ているぞとか、これってこのことだったのかもしれないと思う時がくるから、頭の片隅にでいいからこの話をとどめておいてね」と補足しています。
…伝えたことはあくまでもGuoぱんだの事例であり、同じことをしたとしても背景や人が違えば同じことをしても同じにはなりません。
また、Guoぱんだも同じことをしてほしいと思っているわけでもありませんし、一つのたとえ話であり、そこから見える大切であろう気持ちをどこかで感じ取ってほしいと思うからです。
しつこいようですが、自分の保育の何たるかは自分で作り上げていくものだと思います。
これは聞いてできる、見てできるという単純作業ではなく、聞いて見て理解し自分の保育に活かして新たな自分の保育を作り上げるというかなり時間のかかる作業です。
Guoぱんだが知る現場には自分をかなり天才だと思っている方々がたくさんいました。
「私は最初からできていた」と言い切ってしまう方…
「話を聞いて理解できました」と即解決に至る方…
聞いて、見て、安心して、できるようになったつもりでいることはありませんか?とその方たちには問いかけたいのです。
目に見えてできるようになることに焦点をあてることだけが学びではありません。
その奥にある思いの部分が理解でき、それが他の様々なことに繋がっていることに気づけることが学びであり、自分の保育への活かし方なのではないでしょうか。
繋がりに気づくことができれば、「一つ一つ言わなきゃわからない」というようなことはなくなるようにも思います。
あなたなりに活かす方法は一つではないはずですから…