昨日は一日外出をしていたGuoぱんだ。
お客様の猫グレコはそれが不思議だったらしく、家の中を覗こうとしたのか、網戸をよじ登り網戸にしがみついていて、猿と間違えられて怒られたようです。
怒られてしばらく姿を消していたようですが、Guoぱんだが帰宅するとまた何処からかやってきてくっついてきました。
今朝も裏口で待ち伏せされています…
さて、今回の話題はGuoぱんだの保育士になった理由…
かなり社会に対する反発やらコンプレックスやらが含まれていますので、言葉がいつも以上に挑戦的かなと思います。
読まれる方はその辺ご理解お願いしますm(._.)m
Guoぱんだは小さい頃は競争心もなく身体も華奢(今では考えられないが)で運動はあまりしない子どもでした。運動は苦手です。
正確に言うと苦手プラスいろいろ想像や予想をして怖いのです。
例えば、実践を伴わないボール扱い等は上手いのですが、バレーボールやバスケットボールなどゲームが始まるとGuoぱんだにはそれは格闘技にしか見えず、相手チームの人の後ろに隠れていたり、なるべくボールがこない位置で迷惑がかからないように過ごしていました。
万が一、ボールがくれば、みんながこぞってGuoぱんだめがけて突進してくるのです。
何よりも怖いシチュエーションです。
あんな恐怖の奪い合いに巻き込まれるくらいならボールは喜んで捨ててしまいます。
ドッチボールなどは後になればなるほどみんなが白熱してきてそんな時にボールに当たろうものなら命に関わるくらいのこととしてとらえていましたので、早々にボールに当たるように心掛けていました。
…今にして思うと集団競技の場合、同じチームの人は一人欠けた状態でプレーをしていたわけですから大変だったでしょう…今更ですがごめんなさい。
怖いといえば跳び箱も足が引っかかったら顔から落ちて痛そうですし、跳び箱の上で前転なんて、落下したら全身殴打です。なるべく危険を回避するのが得策です。
でも、縄跳びを使って走るとか、竹馬とか、あまり脚光を浴びないものは人並み以上に速かったり、こなしたりします。
さて、そんな運動神経の持ち主Guoぱんだですが、小学生までは担任の先生もGuoぱんだの習性を理解してくれていたので何不自由なく過ごしてきました。
中学から高校にかけていわゆる体育専門の先生が体育の授業を受け持つ頃から一転Guoぱんだはいろいろな疑問を持つようになります。
自分の持てる力は使っているのですが、先生からはそんなこともできないのかと呆れられたり、マラソンしている時には遅くてふざけていると頭を叩かれたり、運動が苦手な子たちが集まってしまったグループダンスの発表の時など先生が見ていないことは肌で感じましたし終了後口頭評価もいただけませんでした。
Guoぱんだの体育の授業における疑問
①学力テストはまわりに答えや点数がわからないように秘密裏に対応されるのに、スポーツテストは人前で公開される(ひどい時には結果の張り出しあり)
②運動が苦手な人は頑張って今まで以上の結果を出しても成績は10にはなり得ない
③運動が得意な人は1学期間怪我で体育の授業を休んでいたとしても成績が10になり得る
④先生が結果主義で個々の努力をみようとしない(手を抜いている人と一生懸命やっている人の違いが区別できない)
⑤運動のある程度できる人は手を抜いていてもある程度の結果が出せるので目立たない
⑥運動の苦手な人は反抗心からあえて手を抜くと何もできなくなるので尋常ではないくらい怒られる
⑦ふざけていないのにふざけていると捉えられる
などなど、様々な疑問がわいてきたのです。
ですから体育の先生に対する拒否感と不信感は尋常ではないものでした。
人の努力を認められない、人のやる気を奪う、出来ない人間は人ではないくらいの扱い…子どもたちを育てる先生としていかがなものなのか?
つづく!!