何気ない日々の生活に保育のヒントを見つけたい!

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4-140 遠慮することは人が生きていく上で必要ないのでしょうか?

遠慮するとか、我慢するとかがいけないことのように言われる風潮がありますが、本当にそうなの?それで大丈夫?と感じることが多いGuoぱんだです。

 

先日、食事会で、こんなことがありました。

 

片付けをした人たちにお疲れ様の意味も込めて、隠してあったデザートの盛り合わせを出しました。

みんな「わーっ!!」と喜んだのですが、それも束の間、参加者の中学生の子どもが目ざとく見つけて「食べたい食べたい!!」と盛り合わせを独り占めして食べ始めました。

親が何も言わないので、他の参加者も何も言えません。

見て見ぬ振りをしていました。

しかし、盛り合わせを提供したGuoぱんだは、盛り合わせを半分以上自分の口に突っ込み、まだ手に掴み取ってムシャムシャなりふり構わず食べているその子を見て、気分が悪くなりました。

というよりも、見ていて恥ずかしいのです。

G「お手伝いしてくれた人に出しているんだから、一人で食べちゃいけないよね?」

と声をかけてみたのですが、

子「えーっ、だって誰も食べてないんだからいいじゃん」

とまだデザートを口に沢山突っ込んでモグモグ…

流石にこれはいけないでしょ?と思ったのではっきり伝えることにしました。

G「それは違うよ。あなたが一人で抱えて食べているから、みんなは食べられなくて “遠慮” しているんだよ。みんなに分けてね」

やっと食べる手を止めてたその子の言葉は…

子「じゃあどうすればいいの?」

人に分ける…という行為を知らなかったのです。

G「みんなのところに持っていくんだよ」

子「…なんて言えばいいの?」

G「どうぞ、食べてくださいとか、どれがいいですか?って目の前に持って遠慮している人に食べていただくんだよ」

3分の1しかなくなったデザートをもって恥ずかしそうに周りの人たちに聞き始めたその子でした。

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自由と放任のはき違え、我慢や遠慮がいけないことだと捉えることの怖さを感じた出来事でした。

 

たくさんの人が集まる一年に一回のこの日をずっと楽しみにしていたその子の気持ちも充分理解しています。

親が1年にたった1日の集まりで楽しく過ごさせてやりたい、自由に過ごさせてやりたいという思いを持っていることも知っています。

でも、楽しいと羽目を外すことは違います。

楽しければ何をしても許されるということでもないのでは?

周りにも人がいて、自分は大勢の中の一人でもあるのです。

楽しいから自分勝手に好きなことをしていいと思うのであれば、独りよがりすぎます。

自由な中にこそルールがあり、ある程度のルールがあるからこそ、そこに当たり前の自由がある。

同様に、“遠慮する” “他人に心遣いをする” ということも集団がそこにあれば大切なことになってくるのではないでしょうか。

 

それからの時間はずっと静かにしていたその子。

帰り際、親と車に乗り込んだその子は例年は知らん顔して座っているのに、Guoぱんだに一生懸命手を振っていました。

ハイハイ…と手を振り返したGuoぱんだですが、その子がこの一件で何か一つでも感じてくれていたらいいなと思います。

一年後、成長した姿を見せてくれることを願うばかりです。