310 みんな同じでなくてはいけないのでしょうか?
昨日のつづきです。
ブラックが止まらないので最初に謝ります。すみません。
S先生は不機嫌になるというところを引き合いに出されて悪口を言われていました。
人間誰しも多かれ少なかれ感情の起伏があるのが当然だと思います。
自分も例外ではないこともわかります。
そしてその起伏はみんな同じではなく、人それぞれ、快不快になるポイントが違うのです。
本当に “みんな違っていい” のであれば、そんなお互いにある面倒臭い部分も認めなければならないのでは?と思うのですが、それは許されないのです。
Nの言う “みんな違っていい” とは一体何を持って発せられる言葉なのか…
Nが言うのは “一部の人に限定されている” ように思えてならないのです。実際、子どもにも依怙贔屓をする人です。
自分と合わない大人や子どもは “みんな違っていい” の対象にならないのです。
個性について考えると、今まで様々なところでそれぞれに育ってきた大人こそ、個性は子どもより強いようにも思います。
考え方にも思いにも、仕事の進め方も人材育成も成長の仕方も、そのスピードもきっかけも、一人として同じ人がいないのと同様に色々あって、対応にも色々あるのではありませんか?
自分に都合のいい部分だけは認め褒め称え、悪く映る部分は「悪い」と決めつけ、偏った見方をするのは、何か間違っていませんか?
こんな自分に都合のいい対応の仕方は、“みんな違っていい” ではないと思うのです。
Guoぱんだがこの何年か仕事をしながらもモヤモヤして、「何かがおかしい」と心の奥底で思っていたのはまさにこの部分であり、こんなおかしな考え方の上司が牛耳る職場を辞めたいと思うきっかけになっていたのではないか…と記事を綴ることであらためて感じます。
みんな良くも悪くも違う一人ひとりです。
一人ひとりがかけがえのない個を持っていることを感じられるように努力したいGuoぱんだです。
そしてこれからも、自分のために世界があり、自分のために人が動いている、人間を駒のようにしか扱わない(人間が一番高等動物で人間にしか感情はないと言い切る部分も含め)、自分の行いに反省もせず、うまくいかないことは全て他人のせいにして罪をなすりつける、依怙贔屓の塊のこのNを反面教師としていくのだろうと思います。反面教師というもの立派な個ですね…
5 感情は人間だけが持っているもの!? - ワク*2 ドキ*2 ◯◯*2 保育士MEMO
明日は今回一連の流れになってしまったブラック記事の最終回です。