今週からは、月末に控えた祖母の法事の準備をします。
ちょっとした集まりですが、そのちょっとでも忙しい中集まってくれる人たちのために最低限のおもてなしは必要なので、準備、片付けは付き物ですね。
おもてなしの準備は意外に得意なGuoぱんだです。
そして片付けまで力が持たないのが悩みのGuoぱんだです。
さて、昨日のつづき。
出来て当たり前、知っていて当たり前、そして…
普通だよね・・・
確かにそうなのですが、あなたがいう普通って何なのでしょう。
自分が思っていることがもしかしたら普通ではないこともあるかもしれません。
例えば、Guoぱんだの両親は働いていましたので、Guoぱんだは宿題を夜、食事をした後にするのが普通でした。
小2の時に担任の先生が「みなさんはいつ宿題をしますか?」という質問をしました。
Guoぱんだはもちろん普通なことである“夜”に手を上げました。
が…悲しいことに“夜”宿題をしているのはGuoぱんだだけでした。
他の友だちは皆、帰ったらすぐ宿題をしていたのです。
Guoぱんだは普通だと思っていたことが普通ではなかったことにショックをうけました。
世間一般の普通は“家に帰ったら宿題をする”であり、“夜に宿題をする”ことではなかったわけですから…
そして追い打ちをかけるように先生は言いました。
「家に帰ったら、まずは宿題をやってから遊ぶようにするといいですね」
家に帰って両親に「宿題は家に帰ったらすぐにするのが普通なんだって」と泣きながら伝えると、「いつやったっていいでしょ」と言われました。
まさに両親の言う通り、いろいろあったっていいじゃない?です。
…これに限らずGuoぱんだ場合は普通じゃないエピソードがありすぎるので、まさに「いろいろあったっていいじゃん」的な人生論はもしかしたらこの頃からあるのかもしれません…まあ、それは置いておいて。
保育の中でも、“わかって当たり前”とか“出来て当たり前”とか“普通のこと”と、大人側からのものの見方や尺度で決めてしまっていることはありませんか?
もしかしたら、あなたが思う当たり前や普通は子どもにとっては当たり前や普通ではないかもしれません。
何をもって当たり前なのか、何をもって普通とするのか、立ち止まって振り返ることも必要です。
当たり前ではない当たり前に気づいた時に、「いろいろあったっていいじゃん」「人それぞれ違うんだよ」と個を認める気持ちや成長を待つ気持ちを持つことができてくるのかもしれません。
…そしてこれは子どもにだけではなくて大人(保育者)の成長を見守ることにもつながっているのではないでしょうか?