2-57 高所恐怖症への道
Guoぱんだのトラウマ “高所恐怖症” の歴史です。
①5歳の春の寸又峡吊橋の恐怖
家族で小旅行、寸又峡に行きました。
それまでは休日には動物園巡りをしていましたから、今の動物に興味がやたらにあることにそれは活かされている訳ですが、寸又峡はいつもとは違う種類の旅先でした。
しかも前々から吊橋という揺れる橋の存在を聞いていましたから、朝からお腹も痛くなっていました。
さて、崖のような山道を歩いて吊橋に到着。
しかし、これがGuoぱんだの想像以上の橋だったのです。
1人でしか歩けない…向かいから歩いてきた人とすれ違うなんて出来ない橋。
しかも歩くところは板で組んであって、それ以外は網…
揺れる〜〜
見える〜〜
そしてとてつもなく下の方に川が流れていて、川の色は子ども目に見ても深いです〜を意味する青緑色。
一瞬で、落ちたら『死ぬ』と思いました。
「イヤだ〜〜」と泣き叫んでいるにもかかわらず、「経験が大事」と無理矢理両親に吊橋を渡らされました。
ずーーーっと峡谷に響き渡るくらいの声で泣き叫び続けている子ども…
今なら虐待でしょ?
吊橋のど真ん中でとうとう動けなくなった時、そこに運悪く反対側から大学生くらいのお兄さんがやってきました。
お兄さんたちが道を譲りながら通ってくれたのですが、泣き叫ぶ子どもGuoぱんだが可哀想に思ったのでしょう。
「大丈夫だよ」と親切にも抱っこしてくれたのです。
…わかります?その恐怖…
更に高さが増して、なおかつ柵も綱もない空間に抱き上げられた訳で、妙に鮮明に峡谷に流れる青緑の川が見える…
「ギャァァ〜〜!!!!」半狂乱になったのは言うまでもありません。
その後、どうやって反対側に渡ったのか…
この日の記憶はお腹が痛かったことと、吊橋を渡る時の恐怖、お兄さんに抱っこされて半狂乱になったことしか記憶にありません。
楽しい思い出など何も残っていません。
今綴っていても恐怖が蘇り震えています。
結構長くなってしまったので、もう一つの恐怖体験は明日につづく。