2-58 拒否権や選ぶ権利はあるはず…
続、Guoぱんだのトラウマ “高所恐怖症” の歴史。
②7歳の春の東京タワーの恐怖
初めて東京タワーへ出かけた。
楽しい旅行になるはずだったので喜んで出かけたはずなのだが、全く記憶がない。
あるのは恐怖体験のみ…
その日はやたらに風の強い日であった。
東京タワーに着くと、エレベーターがあったのだが、何故か父親がそこを素通りして行った先は東京タワーの外階段であった。
そして「ここを登って上まで行くと強くなれる」と言われた。
子どもながらに思った。
馬鹿じゃないか…エレベーターあったじゃん?
が、反抗することもできず、勝手に決められた東京タワー展望台まで外階段で上がって “強くなる” という課題に取り組まされた。
この階段…
外階段なので外が丸見えでとにかく怖い…確かその頃は段差のところが空間だったように記憶しているんですよね…滑ってその隙間に入ったら落ちて死ぬと思いましたから必死でした。
風も吹いていて吹き飛ばされそう。
階段を踏み外したら命はないと思うと更に恐ろしいわけで…
どんどん高くなり足もすくみ、高所恐怖症のGuoぱんだは怖さから「なんでこんなとこ行かなきゃいけないの?」と半泣き状態であった(さすがにこれは母親も「疲れた」「怖い」と不満を漏らしていた)。
「強くなるために頑張れ!」
…父親は一体Guoぱんだを強くしてどうしたかったのか。
レスラーになるつもりは更々ないし、十分今は父親より強いと思っている。
とにかく怖いし疲れるし、その日の他の楽しい記憶も何もない。
現在のように外階段を登ったら証明書がもらえるとかがあればそれなりに登ってよかったとも思えただろうが、当時はそんなものもなく、父親が「怖かったな〜〜帰りはエレベーターにしよう」と言ったので、ホッとしたことだけは覚えている。
今この経験から残っているのは網網の階段で足が震えることと、階段は隅っこを歩けず、他人様の邪魔になることくらい。
単に高所恐怖症に階段恐怖を上乗せをしてもらったとしか言いようもない。
このシリーズを綴った最初に綴ったが、無理矢理やらせて将来活きてくる経験はそれほどある訳ではない。
やらせることもある程度必要だし、無駄にはならないことも多いので構わないが、様子を見て無理だなとか、これは今ではないなと引いたり、中止したりする選択をもつ勇気が大人にも必要ではないかと思う。
子どもは親(大人)の自己満足のために動く生き物ではない。