7-52 目指したい保育✳︎2016.5.22の記事より
Guoぱんだです。
本日は2016.5.22の記事より、保育士さんにメッセージを…
「私の言うことは子どもたちは何でも聞くのよ〜本当いい子たち」
「私が寝かしつけるとみんなすぐに寝るのよ、マジックハンド!」
「(私が指導しているから)みんな上手に絵が描けているでょ?」
「子どもたちは私のこと大好きだから、私がくると落ち着くのよ」
こんな会話が経験のあるベテラン保育者から発せられると恥ずかしいやら呆れるやら、どう返していいものか言葉がでないことがあります。
・・・本当に保育が好きですか?
その時、子どもたちは楽しそうでしたか?
誰得の保育をしていますか?
まさに、いたい保育者!?と思うのはGuoぱんだの思い過ごしでしょうか?
ある程度の経験が伴ってくると言葉で人を動かすことが容易にできるようになります。
目力で人を動かすこともできるようになります。
これはもちろんやろうと思えばGuoぱんだもできますし、かなりの威力です。
『威力』の意味が ‘他を押さえつけ服従させる’ ‘強い力や勢い’ ですので、考えてみるとこんな力を発揮してしまうのは怖いですね。
ですから、子どもが思い描かない方向に動き始めた時、ある程度の経験がある保育者であれば『威力』で動きを止めることは簡単です。
子どもたちは保育者の姿をよくみています。
毎日一緒に過ごしているのですから、保育者の動きは敏感に察知するようになります。
自分のクラスの子が自分とそっくりな口調で友だちに諭していたり、指示していたりするとドキッとします。
ミニュチュア版の自分がそこにいるのですから・・・
だからこそそんな子どもの姿を見つけた時には、Guoぱんだは自分の行いを気をつけなければいけないと身が引き締まります。
真似してほしいと思うことだけ器用に吸収する子どもはいません。
良いことも悪いことも、なんでもかんでも吸収してしまうのです。
ということは、大人(保育者)はとんでもない方向に子どもたちを導いていくことだってできてしまうわけです。
Guoぱんだが目指したい保育は 子どもが保育者の言うことを聞いておりこうさんにしているということではありません。
子どもたちみんな、同じことが上手にできること目標としているわけでもありません。
保育者が人気者であることを周りに知らせることでもありません。
保育者の素晴らしい保育技術を披露することでもありません。
保育者の心の持ち方一つで “保育” の主体が全く変わってしまうことは避けたいと思うところです。