Guoぱんだです。
昨日の記事のつづきです。
「さあ、どの本よぉーむぅー?」
唐突に「どの本読む?」と言うP保育士でしたが、近くにいた子どもたちは何も反応せずにそのまま遊んでいたり、Guoぱんだたちが図鑑を見ているところに逃げてきました。
そんな状況でも更にP保育士は続けて言うのです。
「あ、この本(床に落ちていた)読もぉか〜。おいでぇ〜」
それはたまたまそこに落ちていた本ですよね!?
えーっ???
子どもは集まってきたでしょうか?
…もちろん誰もきませんでした。
誰も絵本を読んでほしいと思っていない時間に、なんの前触れもなく、たまたまそこに落ちていた絵本を読んでどうするのか?
?????????????はぁ?????なんだ?この人??????
そして思いました。
だからいつも同じ子どもを一人二人膝に入れて絵本を見ているのだと。
絵本を膝に入れて読むのは悪いことではありません。
むしろ良いことではあります。
が、P保育士が問題なのは、遊びを子どもたちに提供するよりも『絵本を読んでいる方が楽』という、保育士の楽さで絵本を読もうとしていること。
子どもたちはこのP保育士が全く面白くないこと、子どもたちを思って絵本を読んでくれているのではなく、楽な保育をするために本を出汁に使っていることを見抜いているのです。
本来ならば「何して遊ぼうか?」とか「何して遊んでるの?」とか「お料理作ってるの?食べたいな!」「何作ったの?先生も欲しいな〜」などなど、いくらでも子どもと関わったり、遊びを広げる言葉はあるのですが…
あまりの自己中心的な保育にびっくりするどころか、悲しくなりました。
こんな子ども中心で保育ができない保育士がいるのか…と。
しかもそんな保育士が自分の目の前にいるとは…
上司に媚びを売るのが上手だったり、やっている風を装ったりするのが得意なだけで、子どもたちは何も学びませんし、見ている周りの保育士がストレスがたまり不幸になっている現実。
中心に子どもがいることに気づかない限り、子どもは寄りつかないですし、寄りついたとしても子どもは成長せず不幸になります。
そこに…あなたの保育に…子どもはいますか?